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バッドゾーデン・アム・タウヌス、モダンとクアの伝統が交差する街


バッドゾーデン・アム・タウヌスは大都市フランクフルト・アム・マインと国際フランクフルト・ライン・マイン空港のすぐ近く、中級山岳タウヌス(標高130〜385メートル)の麓にあります。北と東からの風から守られ、南東のみに開いた緑豊かな谷であり、この地形と快適な気候のおかげでバッドゾーデン・アム・タウヌスは周りの他の地域よりも少し早く春が訪れます。

マイン・タウヌス郡に属し、現在21,800人強の人口が暮らすバードゾーデンは三つの地区で形成されています。アルテンハインは人口およそ1,600人の最も小さな静かな地区です。7,000人以上の人口を有するノインハインは、かつての果樹園農家集落から現代的な街区に発展しました。また、中心地区には市立博物館、絵画館、十分に整備された公園や新しい商店があります。

数々のお祭りや催し物がかつての保養地街へと訪問者をひきつけます。メインはバッドゾーデンが巨大なフェスティバル通りと化する8月の夏祭りでしょう。ジャズファンは「ジャズ・アム・クヴェレンパーク」にこぞって足を運びます。また、クラシック音楽愛好家は9月に開催されるメンデルスゾーンの音楽の日を心待ちにしています。12月にはロマンティックな木組み小屋の並ぶ、昔ながらのクリスマス・マーケットが冬の旧保養所で人々を迎えます。

塩と保養生活

ローマ人はすでにゾーデンの泉を知っていたようで、この場所で入浴していたそう!1191年に初めて古文献で言及されたかつてのライヒスドルフ(神聖ローマ帝国直属の村)は数百年に渡り、製塩の鉱泉でした。ゾーデンという地名(sieden:沸かすに由来)もまた、中世初期にはすでに存在したこの伝統的な用途について触れてい

ます。1434年にジギスムント皇帝により公式に製塩の特権を賦与されました。その後の数百年間、とりわけ濃縮製塩棟建設に力を入れ、塩水からの食塩製造に成

功しました。1812年まで製塩所(旧屋と新屋から成る)は、現在のアルテ・クアパークとその南側一帯の地域に広がっていました。

療養入浴という文化においてもこのゾーデン泉は特別な役割を果たしていました。クア(Kur:療養)の誕生とされる1701年、三十年戦争が襲い、その後忘れられていたこの療養泉は再発見されました。一年後にフランクフルトの医師ヨハン・ベルンハルト・グラッドバッハがゾーデン泉の治癒力を賞賛してからは、数十年にわたり入浴場としてひっそりと利用されていました。このように1722年の最初の療養所は市民主導のものとしても遡ることができます。フランクフルトの人々、例えば、タウヌスの詩人イザーク・フォン・ゲルニング、ゲーテのミューズ、マリアンネ・フォン・ヴィレメルと彼女の夫、「もじゃもじゃペーター」の著者ハインリヒ・ホフマンもゾーデンの水を飲泉・入浴療法に使用していました。

訪問者数が増えるにつれ、それにふさわしいインフラ整備も必要になりました。ケーニヒシュタイナー通りの1818年築の建物、1832年の旧製塩所改装、さらに1849年には銀行家ベツマン兄弟による株式会社設立に伴うクアハウスの建設などが、クア事業発展の重要なマイルストーンと言えます。さらに1847年には鉄道がヘーヒスト・アム・マインからゾーデンに開通しました。この路線はドイツで最初期の地方線でもあります。その後数々の著名人、作家、文芸評論家のルートヴィヒ・ベルネを始め、ドイツ国歌の作詞家ホフマン・フォン・ファラースレーベンから作曲家フェリクス・メンデルスゾーン・バルトルディやペーター・チャイコフスキー、イワン・トゥルゲーネフやレオ・トルストイなどの詩人がゾーデンに保養に訪れました。レオ・トルストイは著書『アンナ・カレーニナ』でこの保養地ゾーデンを物語の舞台にしているほどです。

ゾーデンを「バード」として公式に呼ぶことができるようになったのは1922年以降のこと、「バードゾーデン」として盛大に宣伝されたのちのことでした。その結果、1947年に保養都市としての都市権を得ました。二つの世界大戦

により一時影を潜めたあと、21世紀始めの健康保険制度改正と公衆衛生制度における引締め策が、決定的な退場をクアに命じました。しかしクア無しでも、バードゾーデン・アム・タウヌスでは引き続き12の国定鉱泉を使用することができました。美しく保たれた公園は健康や癒しを求める人々に人気の場所となっています。

みどころ

メディコ・パレス

Das Medico-Palais

1912年当時ヨーロッパ最大の温泉吸入施設、ブルクベルクインハラトリウムがブルクベルクの麓に開業しました。最盛期には300人の患者が同時に吸引室に入ることもありました。今日メディコ・パレスとして知られる、新古典主義風のファサードを備えた建物には様々な診療所が入っています。以前と変わらず、気管疾患の治療には吸入法が、皮膚疾患治療には温泉療法が用いられています。

パウリーネ小城

Das Paulinenschlößchen

パウリーネ小城は1847年、その6年前に療養に訪れたパウリーネ・フォン・ナッサウ公爵妃の命により建設されました。1855年に公爵妃は公衆衛生医師ゲオルク・ティレーニウス博士に小城を売り渡しました。1909年のゾーデン市への転売までこの小城は人気のペンションであり、1870-80年代には、ビスマルク侯やその娘といった侯爵や大臣、士官、王室の人々が療養期間中滞在していました。現在この場所にはバードゾーデン市役所の出張所があります。

バーデハウス アルテ・パーク内

Das Badehaus im Alten Kurpark

 ゲオルク・ティレーニウス博士の肝いりで1870年にクアパークにバーデハウス(公衆浴場)建設が実現されました。かつて製塩所の枝条架装置(製塩の過程で塩水を蒸発させて鹹水を作る)があった場所です。1905-06年にクアの需要に合わせ使用面積を増やすため、幾度かにわたり1階分が増築されました。1997年の全面改装のあとは市の文化施設として活躍しています。市立図書

館や資料館のほか、この歴史的建築物には市立博物館、絵画館が入っています。

バーデハウス内 市博物館 

Das Stadtmuseum im Badehaus

 旧公衆浴場の博物館として改装された一角では2008年に一新した常設展をもとに、800年を超えるゾーデンと、1977年に合併した地区の歴史を活き活きと読み解くことができます。常に近くにあり、従属関係にあった帝国直属都市フランクフルトについて、あるいは数百年以上ゾーデンの製塩所を運営したマラペート・ヌフヴィル家や、有名なゾーデナー鉱泉錠剤の製造や天然水の疎水について知りたい人は、この市立博物館を訪れるとよいでしょう。

バーデハウス内 市立ギャラリー 

Die Stadtgalerie im Badehaus

市立ギャラリーでは、近代絵画、版画、写真、彫刻から地元に関連した歴史など、月替わりで展示が行われます。カリン・グルッダ、アントニオ・マッラ、エルヴィラ・バッハなど著名なアーティスト、そして「タウヌス産鉱泉水」のような歴史にまつわる展覧会が毎年多くの訪問者をバーデハウスに呼び寄せます。

療養泉

Die Heilquellen

 バードゾーデン地区には全部で33の鉱泉および温泉があり、そのうち12カ所は自由に利用できます。アルテ・クアパークにある「ノイエ・シュプルーデル」、ヴィルヘルム井泉、シュヴェーフェル硫黄井泉のほか、3つのクヴェレンパークの旧飲泉室とフンダルトヴァッサーハウスの間のカラン付泉、そしてヴィルヘルムパークにもさらに3つの泉があります。クヴェレンパークのゾーデニア園亭には炭酸泉、塩化物泉などがあります。治療水の利用(入浴、吸引、服用など)によってケアのできる病状は、運動器系の病気から皮膚病、消化器系の病気にまでいたります。

アルテ・クアパーク

Der Alte Kurpark                                                       

すでに撤去されていた製塩所旧屋脇の牧草地を干拓と植樹により、最初のクアパークの前身が1823年に造られました。古樹や珍しい樹木が、英国風庭園に仕上げられた42,000㎡の街の中心となる公園全体の魅力を放っています。そのうちの多くは設立当初の木々がそのまま残っています。さらにこの公園にはキササゲ、ベイスギ、イチョウといったエキゾチックな木々が生い茂っています。ケーニヒシュタイナー通りに向かって、フランクフルトの医師であったダーヴィット・ロートシルトの印象的なユーゲントシュティール様式の館が建っています。

ノイエ・クアパーク

Der Neue Kurpark

1961年に整備されたノイエ・クアパークは面積拡張により約44,000㎡とアルテ・クアパークよりも広く、オークの森から街の中心街を結んでいます。

クヴェレンパーク

Der Quellenpark

クヴェレンパーク(源泉公園)は1856年にナッサウ園庭監督のフリードリヒ・テーレマンにより造られました。ここではすでに1567年にフランクフルト市参議会の試験を受けた塩化物泉が湧き出ています。1888年にこの泉の上に、ゾーデン市の象徴であるゾーデニア像を設えた園亭が建てられました。

ヴィルヘルムパーク

Der Wilhelmspark

1911年の年、市民の決議によりクアパークとクヴェレンパークの横にさらなる公園施設が増設されました。造園家ジースマイアー兄弟の手による公園です。入り口にはヴィンクラー泉があります。この泉は1806年、その少し前にヴィンクラー家の所有になった邸宅建設の際に発見されました。1910年にこの邸宅は解体され、1924年以降は泉に強固な壁が作られています。

フンダルトヴァッサー・ハウス

Das Hundertwasserhaus

「千一夜物語の家」がオーストリアの芸術家フリーデンスライヒ・フンダルトヴァッサー(1928-2000)により考案されました。この集合住宅は1990年に礎石が置かれ、17の全く異なる住戸で構成されています。また1722年築のゾーデン最初のクアハウスがこの建物に組み込まれています。

マイセン陶器コレクション

Die Meissener Porzellan-Sammlung

ラマダホテルのロビーには本物の芸術品が披露されています。マイセンを除く、世界最大の「常緑の葡萄の輪飾り」シリーズ・コレクションです。1300点の「葡萄葉の紅葉」コレクションを含むおよそ1900点の陶器が展示されています。世界でも有名なテーブルウェアのほかにも数々の動物や人形、そして有名人がラマダホテルで歓迎してくれます。このコレクションはゾーデン名誉市民ジーグリッド・プレスからバードゾーテン・アム・タウヌス市に寄贈されたものです。

ブルクヴァルテ展望台

Die Burgwarte

この10メートルの展望台ブルクヴァルテは、1900年にブルクベルク塔の上にタウヌス・クラブ・ゾーデンにより建設されました。この旧クアパーク上部の歴史的建造物は2008年に整備され、今日再び立派な姿をみせています。

水道塔

Der Wasserturm

かつての水道塔は1911年に建てられ、個人のカーネーション園給水のためだけに使用されていました。バードゾーデン自然保護団体(NABU)はバードゾーデン市の文化遺産である塔を借り、修復し、メンフクロウ、チョウゲンボウ、ヨーロッパアメツバメ、コウモリなどの住処として使用しています。ここにある螺旋階段のひとつは展望台に繋がっており、バードゾーデンからマイン一帯の素晴らしい眺めを楽しめます。

ノイエンハイン地区

Stadtteil Neuenhain

ノイエンハインでは、しっかりと保存されたファッハヴェルク(木骨造り)の家々と、現代的で多様性のある住居や商店が、美しい発展した地区の雰囲気を融合しています。見所は築300年以上の羊飼いの家と1589年から1591年に現れた領主家屋です。今日、信徒会館、そしてノイエンハイン牧師とその家族の住居として活躍しています。わずか100m先には、鍛冶によるバロック風の門がプロテスタント教会への入り口を飾っています。

アルテンハイン地区

Stadtteil Altenhain

アルテンハインは1232年に初めて文献において言及され、その村らしい雰囲気を部分的に残しています。今日でもここには農場を持った農家が存在しています。ファッハヴェルクの家が、場所によってはほとんど歩道もないほど車道と隣接して建っています。カトリック系のマリア・ゲブルト教会内部では1693年作の祭壇と立派な説教壇など、美術史的に珍しい作品を見ることができます。